2017-07

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大震災は日本にとって第三の節目

■緊急インタビュー「震災・原発とまちづくり」

震災、原発事故は現在も進行中ですが、各界の方々に復興まちづくりへの思いや、日本のまちづくりがどう変わるのか、どう変わるべきかについてお聞きしました。

◇大震災は日本にとって第三の節目
都市プランナー 箕原敬 聞き手:学芸出版社 前田裕資

前田:今回は震災に加えて原発事故が起こって、私たちがやり続けてきたまちづくりや都市計画も大きく変わらざるを得ないと思います。あるいは変えていくべきだとも言えるでしょう。しかし、どう変えていけばいいのかについては分からないのが今の状況だと思います。それについての先生のお考えをお聞かせください。

・第1の問題~安全で優しい国というイメージの崩壊
蓑原:まず、こういう風に考えた方がいいと思うんですよね。第1の問題は、今回の出来事を歴史の節目として考えると、明治維新と太平洋戦争の敗戦の次に来るべき第三の節目なんです。これは昨日東大の大石先生がおっしゃっていたことですが、僕も全く同感です。自然災害とそれに随伴した人工災害が元凶なのですが、これは一種の戦争なんですよ。自然災害が国家のあり方をあからさまに見せてしまったという点で、戦争に近いことだったと思います。
戦争という言葉を使うのは、まず多くの人の命が失われたこと、何万もの人が疎開していること、おまけに今後元の生活に戻れるかどうかさえも分からない、放射性物質汚染がいまだに納まるかどうかが分からないこと、これらってまさに戦時下の様相ですよ。
原発事故は沈静化しているかのような大本営発表的な報道が続いているけれど、これは嘘で、これが長期化して放射性物質の堆積が起こったときどんなになるかは、誰にも読めない。だから、今の日本は戦時体制になっていることを基本的に認識しないといけません。
次に、なぜ今回の出来事が日本全体に影響しているかと言うと、太平洋戦争時の日本は構造的には農業国家だったのです。安手の焼夷弾で燃えてしまうような街しか作れなかったんです。それを1945年以降、頑張ってここまでの国にしてしまった。つまり自由主義陣営に与して工業化に成功して、技術立国、経済大国になっているからです。その基盤を支えていたのは国家だったんです。全国総合開発計画があって、全体をコーディネートできていて、日本列島全体を工業化することに成功したんです。もちろん、それに伴う公害問題などマイナス面はいっぱいあったけど、実際に日本が復興してきた上で、全国総合開発計画が果たした役割は大きかったんです。
それで戦後の日本は成功した。そして71年のドルショックと73年の石油ショックを経て、一次低迷して、定住圏という構想が出てきたりはしたんだけど、結局、その後出てきた新素材による新産業、IT技術に日本がうまく適応したために工業大国としてきちっと構えが出来たんです。それは何かと言うと、きちんとした国と地方の官僚組織と、きちんとしたインフラ、それを支えている優れた労働力です。
その工業国の上に乗っかって、日本は非常に安全で平和で優しい国だ、日本にくるとほっとするというイメージが出来た。つまり、先進成熟国が求める社会像を実現した国だったんです。先進国の中で、夜に女の子が一人歩き出来る国というのは他にはありません。そういう日本のイメージが、いま完全に瓦解してしまったんです。
第1に官僚組織が全く無能だっただけじゃなくて、敗戦時の軍部と同じような無責任体制だったことが露呈したこと。それだけじゃなくて、東電という一流だったはずの大企業までが怪しい構造になっていたこと。頼りになると思っていたインフラが、実は頼りにならなかった。それどころか唯一の被爆国としてあれほど原子力には神経質だった日本が、チェルノブイリ級の事故を起こしてしまった。これは、今までの進んだ工業国家という日本像からすると全く考えられないことなんですよ。せっかく築いてきた戦後の日本のイメージを完全に打ち砕いてしまったことがまず挙げられます。
第2に、優しい良い社会だという日本のイメージがどう変わるかも気がかりです。地震直後には忍耐強い国民だと誉められていましたが、なぜいつまでも黙って被害が拡大していくのを見ているだけなのか、放射性物質の拡散を世界に押しつけるのかという批判は必ず出てくるでしょう。日本人が持つ人格的な力に対するクレディビリティー(信頼性)がすごく落ちている。震災以前は「これからは観光立国だ」と張り切っていましたが、観光を頑張ろうにも、このイメージ回復についてはものすごいエネルギーがいると思いますね。
そういう日本の基本的なところで崩壊が起こっていることへの認識が日本人に欠けているのではないか。それが私が提示したい第1の問題なんです。

前田:被害を甘受している日本人ということについてですが、今さら東電にデモをかけてもしょうがないから、家で祈るしかないということもあると思うのですが。

蓑原:でも僕は少なくとも、なんで情報をちゃんと出さないのかと思いますよ。被災者対策についても、なぜもっと前向きに動かないのかとか、いろんな反応があっても良いはずですよ。そういう反応が国民的に出てこなくて、一部の献身的なNPOが被災地に入って一生懸命にやっているだけです。
実はその背後に、のちほど触れますが、いろんな動きが日本の市民社会レベルで出てきていて、代替機能を果たしつつあるんじゃないかとも考えています。それについてはある種の展望があり得ると思っているんだけど、少なくとも現時点で見えるところで言えば、そういう国民的な反応が見えませんから。
だから、対外的には無力な日本人像という与えざるを得ないことになっています。

・第2の問題~国の形、システムを再編成できるか
蓑原:じゃあ、日本における明治維新以来の第三次の変革期に当たって、我われはどういうことを目指して次に進めばいいのかということになります。
次に進むときの、大前提になる条件が「大災害はまた来る」ということです。東南海地震で必ずやられるというのは、身近な現実としてある。それを踏まえて考えたときに、今まで日本が工業国として立国してきた国家像をどういう形で引き継いでいったらいいのかが問われます。
はっきりしていることは、東京一極集中で地方はその支配下にあるという構造を徹底的に壊さないといけない。東京がダメでも大阪がある、大阪がダメでも仙台がある、仙台がダメでも福岡があるというぐらいのスケールで国家像を作らないといけない。どこかがやられても、国家の再生が可能であるような構造を作らない限りダメだろうと思っています。
そして、今のシステムの不幸は、日本全国を最適化したひとつのネットで結んでしまったために、今回の被災地のように、紙のパックがないから牛乳が腐ってしまうということが起こることです。そういうことはまずい。過去に全国総合開発計画が立てたようなネットワーク構造を、いくつかの群に分けないといけないだろうと考えています。
今の一元システムを国内でいくつかの群に分けるとき、気をつけないといけないのは一つの群が少なくともヨーロッパの中小国家ぐらいの規模にしておかなければ、そこの経済力が持たないということです。だから、少なくとも4つか5つぐらいの群と、あとは北海道と沖縄といった特別な場所があるというぐらいの単位に分ける必要があると考えています。
そのぐらいのスケールの上で、そこを管理する機構が全面的に地域の管理や経済や開発に責任を持っていく。それを束ねる国家は、アメリカみたいに外交とか防衛や金融、経済基盤などをしっかる抑える。そういう構造の国家に変えていくしかないのではないかと思います。
なぜそうするかと言うと、組織は巨大化したら必ずダメになるからです。現場との距離が遠くなった組織は必ずダメになる。今の東京がそうでしょう。東京で考えたことと現場で考えていることの間にギャップが大きすぎるんですよ。だから、うまくいかないんです。組織の単位を巨大化しないで、どこまで小さく出来るかが、大事になるのです。過大な組織は必ず機能不全を起こします。それは社会主義国で証明済みです。
さしあたっての問題は、今は戦時体制ですから、もう「市場経済を放っておけば、うまく行きますよ」なんて、ありえないでしょう。じゃあ、どういうふうに国が動くべきかというと、国が東京中心主義で動いたらダメなので、東北があたかもひとつの国であるかのような形で、東北の中でいろんな意志決定ができるような構図を作るべきなんです。その構図のうえで、復興していく準備をしないとダメでしょう。
まず東北をモデルの場所としてやったうえで、必ず次に来るはずの東南海地震に備えて、関東、中京、近畿、中国・四国圏も、同じような形の地域圏組織に再編成していくことを考えなきゃいけない。そうした構造の中で、エネルギー問題やいろんな問題をを解決していくべきなんです。
そうしたことの、一番最先端モデルが東北なんです。
非常に不幸な経験でしたが、逆に今はいろんな隘路が棚上げされている部分があるので、今ならば大胆に取り組むことが可能だと思えるのです。だから、強いリーダーシップを発揮して今こそ東北が自身で考えるような構造を速やかに国が作り出して、そこで全面的な展開をして欲しい。いや、するべきだし、それを契機として、他の広域地方圏に対しても同じような広域圏計画を作っていくべきなんです。
それすらできなければ、エネルギー政策の転換なんてとても無理だと僕は思っているんです。

・広域圏の地域内経済循環を優先する
前田:経済の最適化というのは、ある意味、日本だけじゃなくて世界中を一つの単位としてグローバル化してやりましょうということですよね。例えば、それを日本がコントロールしようとしても、「するな!」とアメリカなんかが言ってきたという繰り返しで進んできたということがあります。
それに対して、蓑原さんのご提案は極端に言えば、それぞれの広域圏で関税を付けてもいいぐらいの内容ですが…。
蓑原:全くその通りですよ。アメリカ型のグローバリゼーションとは、今回のTTPもまったくそうですが、アメリカが自分の市場を確保するうえで、自分は適当に保護主義でありながら、よその国には保護主義ではいけないと言ってきた。最適化によって資本が確実に利潤を挙げる構造に操られているわけで、日本でも同じ構造を取ってきた。
それに対してヨーロッパの国々では、ローカルな経済圏を守ろうと、いろんな政策を出した。日本はアメリカの方ばかり見ているから、それが見えていないだけで、本当はグローバリゼーションという経済の一元化が経済の目的だとする発想はもう破綻していると私は思うんですね。
だって、これは福祉にも反するし、民主主義にも反するし、いろんな人間的な文化にも反する。基本的な価値観を全部ローラーで押しつぶし壊した上に成り立つ市場原理主義がグローバリゼーションなんです。
だから、地域内循環を優先するような政策をいくつかの地域圏が行なったって当然だと思います。地域通貨なんてまさにそういう発想から出てきたものでしょう。地産地消だってそうです。そういうことをやらない限り、雇用もできなければ、社会福祉レベルも上がらないとうことを、それを現実に突きつけられながら、今は市場主義の流れの中でそういう問題が底流に沈んでしまっている現状なんです。そういうことをもう一度表に引き出しましょうというだけの話だと、私は思っています。
前田:ただ、規模の大きさも関係してくると思います。関東圏は東京を入れたら4、5千万人の規模ですよね。
蓑原:私は計算したことあるんですが、広域圏の人口はそれぞれがヨーロッパの中規模の国ぐらいの規模ぐらいにはなるんですよ。例えば、九州だけまとめてもオランダぐらいの経済圏です。
前田:逆に言えば、それだけの大きさがあると、たとえば関西だと、大阪と神戸と京都が遊ぶために福井に原発がずらっと並んでいるという構図が続きませんか?
蓑原:今回露呈したことは、東京の人間を遊ばせるために東北が犠牲になっていたことじゃないですか。なんで、東北に東京電力の原発を置かないといけないんですか、これ、おかしいでしょう。もし、原子力が必要なら関東に置くべきですよ。置けますか?置けないから東北に置いたんでしょう。その結果、どういうことが起こったか。これは地域間の戦争ですよ。関西のために福井に原発を押しつけているのは間違いなんですよ。

・今の電力が支える「無駄」について
前田:次の話題に移ります。なぜ、低エネルギー社会に転換しないといけないかということについて、お話しをお願いします。
蓑原:本当に電力が必要な所にはちゃんと供給して、不要な所を切っていくというなら「計画停電」と呼べるんですよ。ところが、電力が必要な公共交通であろうと病院であろうとひとまとめに切っていくやり方だったでしょう。どういう根拠でエリア割りをしたか知らないけれど、ただみんなを不安に落としただけのやり方だったら、「無計画」と言われても仕方ないでしょう。でも、その背景にあるのは、たぶん原子力発電を止められたら困るということだと思うんですよ。
今の原子力発電が全発電に占める割合は3割と言われてます。でも、昨日のテレビで言われていて面白かったのは、今の原子力発電所の設備はほとんど40年経過していて、リプレイスせざるを得ない状況らしいじゃないですか。だから、いずれにしてもリプレイスするかどうかの選択を迫られることになる。だいいち、東電の福島原発の6基が全部止まっているし、再稼動は絶対に無理だから原子力発電の稼働率は一挙に落ちています。とてもじゃないけど、3割を賄っているなんてもんじゃないです。
そういう意味で言うと、原子力への依存率はそんなに心配するほどのものじゃない。それこそ、節電とか天然ガスの代替とか、自然エネルギーを入れていくという政策を打ち出すことによって、かなりちゃんとカバーができ、そんなに我慢しなくても生活できるでしょう。それに、今街は余計な照明が減って、ヨーロッパ並みの落ち着きが出てきた。不要な電力の使いすぎが多すぎる。パチンコ屋の照明や自販機を止めろといって物議を醸した知事がいますが、ファッショ的ですが正論でしょう。
「自粛は止めて、みんな平常に戻りましょう」という声がありますが、平常って何ですか。今日も銀座の人と話していて、その人があるクラブに行ったときのエピソードを聞いたんだけど、「時節柄、節電をしています」と言ってたんだけど、実際にはそう暗く感じなかったんですって。半分の光量だったらしいんだけど、印象が変わらなかった。つまり、今までの「平常の明かり」が相当ムダだったわけでしょう。無駄の上にあぐらをかくような生活をしておいて、需要があるから供給しますという形で誰かが利益を得ている今の経済構造は不健全ですよ。
だから、そういう「平常」はもう止めましょうということは、これからのエネルギー問題を語る上での基本的な原則だと考えています。

・低エネルギー社会を前提として国家計画を
蓑原:その上で、なぜ低エネルギー社会が来るかというと、僕はそろそろ石油生産量のピークが来るだろうと信じているからです。埋蔵量を需要量で割っていっても、中国やインドが増えたらどうなるかとう不安がありますが、そういう計算自体が間違っていることがはっきりしてきて、埋蔵量じゃなくて生産量が問題だということに気がつき始めている。
ならタール・サンドで代替しようとかいろんな代替案があるんだけれど、技術的あるいは社会的制約条件があって、ほとんど実現不可能なんです。だから、石油依存のエネルギーをどんどん使うとうい体系を必ず切り下げていかなくてはならない時代が来る。それもそう遠くない将来に来ます。それを見越して、20年、30年の長期の国家計画を立てないといけない。その中で、我われのライフスタイルや経済をどういう形で組み直して本当の意味での豊かさを維持できるのかを議論しておかないと間に合わなくなると思うんです。
世界的にもそういうことに気がついている国はあります。トランジション・イニシアティブという運動もあります。そういうことを考えると、石油依存ができなくなったときの大きな社会的混乱を避けるためにも、早く手を打ち、今は節電をして低エネルギー社会へ移る政策をとるべきだと思います。
それが今の我われの快適性を奪って不幸な生活へと導くのなら問題です。でもね、さっきの電力の話でも明らかなように、快適性は本当に奪われるのかを考えてみてください。例えば東京では、公共輸送機関のエスカレーターはほとんど動いていません。でも歩けばすむ。エレベーターは動いています。だから、しんどい人はそれを利用すればいい。そういう使い分けをしていけば、何も困らない。必要もないところに電気を送っていただけですよ。無駄なところをどんどん切っていけば、低エネルギー社会への筋道をたどっていくことができるし、我われの生活の豊かさを本当に削ぐことにはならないだろうと考えます。
しかも、これから分権型の構造を作っていくとすると、必然的に我われのライフスタイルも変わってくるでしょう。特に高齢化社会を見据えて考えると、必然的にコンパクトな社会の中で、もう一度近所の縁なんかを深めながら、人間関係を豊かにしていくことを追求せざるを得ない。
その人間関係の豊かさの中で、自然とのつき合い方も豊かにしていく構造を作らないといけない。しかも、これから人口密度は減って、自然資源はどんどん増えていくことになりますから、我われは恵まれた計画条件の下でコミュニティを作れるはずなんです。そういう社会に向かって動き出せるチャンスなんです。
決して低エネルギー社会が不幸な社会につながるわけではないことを、みんなで認識した上で立ち向かうべきだと思っているんです。

・危険地域をどう扱えばいいのか
前田:低エネルギー社会に向かう過程で、まちづくりの現場がどう変わっていくのか。そのあたりについては、どうですか。
蓑原:20世紀のまちづくりでは、ひとつの大きな流れとして、田園都市論のエベネザー・ハワード、パトリック・ゲデスに始まってルイス・マンフォードなどの連中が広域圏の計画の上に都市計画を考えてきた。
要するに我われは自然生態系とのつき合いの中でまちづくりを展開するべきだという流れがあり、全国総合開発計画の中でも流域圏を検討したことがある。山林から始まって、農業、漁業、その間の河川平野をどういう形で連ねながら、人間が最適な環境を作れるかを考えてきた。その最適環境の中に生産環境も配置しながら考えてきたわけだけれども、その流れを21世紀にはっきりと見直したうえで、これからのまちづくりを考えていくべきでしょう。今回の大災害はそういうことを考え直す天啓だと思っています。
だから、東北でやらないといけないことは、まず自然と農林業、漁業を含めた自然的資源に対して、生態系を生かすために必要な配置とか最適技術をどういう形でやっていくかということでしょう。そういう枠組みの中で、人間はどこに住むべきかを考えていくんです。
申し訳ないことだけど、今回のような壊滅的な津波が何回もやってくることはもう分かっていることなんですよ。過去の大津波が来た目印があるにも関わらず、そこから下に住んでいた人は大勢死んでしまったわけで、そんなことを繰り返さないためにも、今後のまちづくりは津波が来るのが確実な場所に人が住まないような構造をつくらないといけない。
じゃあ、台地に居住地を上げたときにどういうパターンが考えられるか。今言った新しい原則の中で、コンパクトに公共輸送機関とか自転車や歩行を中心としながら、どうハビタット(居住)を組み立てていくのかを作り直す方向で議論しないといけないと思っています。その時の計画論と方法論は、今までの歴史の中で積み上げたいろんなパターンがありますから、それをうまく使いこなしていく。そして、風土性もきちんと考える。こうしたことを考える良いきっかけになっていると思います。
いち早く赤坂憲男という東北学をやっている先生が新聞で、「今回の復興には東北学という哲学から考えて欲しい」とコメントしていました。一つの卓見だと思います。佐藤滋さんも地域の哲学を地域の空間構造に生かすべきだとおっしゃっていました。その通りだと思うし、そういうことをこれからのまちづくりの基本的な考え方の中に入れていけば、それこそグローバリゼーションのなかでどこでも同じ物をつくったり、快適性、利便性というような浅はかな考えで索漠とした虚しい場所をつくってきたいという我われの歴史を超える可能性があると思いますよ。
そういう意味ではものすごいチャンスがあると思います。

前田:それに関連してお聞きしますと、確かに「ここまで津波は来るんだよ」ということは分かっていたといえばそうなんですが、その下に住んでしまったことには経緯があって、やはり土地利用をリードしてきた学問や行政の対応が必ずしも十分ではなかったと言えるんじゃないでしょうか。それは単純に居住禁止にしてしまえばすむ話でもなく、生業を持ってそこに暮らしていくということに対応できる危機管理がなかったのでは?
蓑原:私が茨城県の都市計画課長の時代に体験したことがあります。水戸は30メートルの台地のうえにあって、すぐ横に那珂川が流れていて、水戸の中心地から那珂川までは斜面を降りていけばすぐのところにあるんですよ。そういう便利なところに水田が残っているから、それを市街化区域に入れてくれというすごい圧力がありました。
当然の事ながら、ここは冠水区域で那珂川が氾濫したら必ずやられる場所だからダメですと調整区域になっていたんです。で、知事から「それをなんとかしろ」と言われたんですが、断固としてやらなかったんです。でも僕がいなくなったら、市街化区域になってしまった。結果的に人が住み始めて、那珂川が氾濫したら案の定、町は水に襲われている。
そんな難しい話じゃない。人間が理性的に振る舞って、ちゃんとリーダーシップを発揮して、そこを人が住まないようにしておけば被害を防げたはずなのに、それをやってしまえという力があるんですよ。それをどうやって排除していくかが人間の知恵であって、それが出来なくなったということは、たくさんの人が死ぬということも仕方がない、被害を甘受することになる。
判断を誤って子孫が塗炭の苦しみを舐めるような社会構造にするのは賢くないということです。単純なことです。そういうことは止めましょうということを一生懸命言うべきですよ。
前田:神戸の震災の時もそうでしたが、こういう事態になると、危険な所に家を建ててはいけないという議論がわっと盛り上がるけど、すぐに引いてしまうのが常です。今の議論もそのうち下火になっていくのではないでしょうか。
蓑原:本質的な問題は常にあるのです。戦後、我われがやってきた都市計画の体系の中でも、常にそういう問題に直面してきました。線引きなんて無茶苦茶な権利侵害をやったわけですよ。河川区域や道路の指定なんて、それを乗り越えてやってきたんです。
でも1970~80年代以降になると一種の市場主義に押し流されて、基本的な常識を失ってしまったんですよ。ただ、一時期、宮沢内閣の時に、それではちょっとおかしいということで土地利用基本法を作ったんです。「土地は社会的公共福祉のために使うべきである」と書いてある。それをみんなが認識して、実行したらいいんです。

・新しい社会の担い手が澎湃と生まれている
蓑原:ある種のボランティア的な精神が若い人の間に段々とみなぎりつつありますよね。またIT技術を駆使して若い人たちが現場情報を直接取ってそれを編集することを先進的な形で行い始めたことが見えてきて、これは非常に感動的なことだと思っています。
昔にはこういう姿はぜったいあり得なかったことなんですよね。そこで起こってきたことを通して、フィードバックしながら提案し、説得を行っていく。ただし、提案され説得されて自分の財産をタダで取られてしまうのはありえないわけで、これは十分にバックアップする政策がそこにいるわけですよ。
その政策を同時に考えながら、そういう提案が成就するように働くのが我われ専門家の役割なんですよ。それが出来るような、かなり広範なネットワークとかエネルギーがふつふつと起こりつつあるのを感じています。
かつての官僚機構は、例えば何かが起きればすぐ市町村の現場の人と話ができたわけです。今の役所の人はそんな話できないですよ。中途半端な地方分権をやっているから、そういう距離ではなくなっている。昔の官僚機構が持っていた距離で行動を起こしているのが、今は学会の人や専門家、NPOの人たちで、その人たちがやっている行動を、そのまま政策意志決定の所にもっていくような構図を作ればいいじゃないかと思っているんです。そういうことが政策を決める上でも非常に意味があるんじゃないかと思います。
面白いのは、この間学会の話を聞いていたら、中央官庁でも何をしたらいいか分からないので、ツイッターを見ていて、ツイッターの中で面白いなと思った提案がいつの間にか政策として出てくるらしいんです。でもそれは誰かが乱雑に考えてやったもののままだとおかしいことになるので、そこはちゃんと専門家が体系的に考えて全体の財政の中に納めながらやっていくことが必要ですよね。そういうことこそ官僚がちゃんと仕切ってやるべきなんです。
そういう現場での情報管理や計画提案は全部現場の人たちを使って、できればそこにお金を回して現場の人たちで動かしていくという構図を作ったら、昔の官僚機構みたいな仕組みが出来るかもしれないと僕は思うんです。
前田:建築学会や土木学会のような大きな組織が全部自分でやるんじゃなく、場を提供して、文系とか社会系の人たちが入っていって行くようにしたら、それだけでもつながりが出来ますよね。
蓑原:当然、そういう方向に動いていくべきですよね。ただ、昨日小田原の市長と話していて痛感したのは、極端に言うともう分野についての専門性はどうでもいいってことなんですよ。都市計画だろうと、土木、建築だろうと何でもいいんで、社会的な関心がある人、福祉問題に関心がある人と一緒に何でもやっていけばいいんですよ。そのうち、それぞれの分野の専門家が一緒にやるようになるだろうし、逆に専門家がそういう風にならないとダメなんですよ。僕は今がちょうどそういう時期に来ていると思います。
だから、今は明治維新の頃と同じで、いろんな既存な組織の末端の動きはがちゃがちゃになっているけど、別の動きが方々で起こっていて、いつの間にか代替されていく。そういうふうになっていくんじゃないかという感じがしています。
もちろん、そうなっていくためには強いリーダーシップがいるものです。もうちょっとの間永田町や霞ヶ関にしっかりしてもらわないと困ると思いますが。

△学芸出版社のウェブサイトにあるものから引用しました。全文は下にあるウェブサイトでお読みいただけます。他にも貴重な専門家の意見が掲載されてます。

▲建築 まちづくり WEB GAKUGEI 2011年4月8日(金)

蓑原敬さん略歴:
蓑原計画事務所主宰。1933年生まれ。1960年建設省入省。住宅局、都市局で政策立案に従事。茨城県の住宅課長、都市計画課長として現場を経験。1985年住宅局住宅建設課長で退官。1989年㈱蓑原計画事務所を設立、主宰。2004年、都市計画と住宅政策を結びつけた業績により都市計画学会石川賞を受賞。
最新刊に「都市計画 根底から見なおし新たな挑戦へ」(編著、学芸出版社)。

http://www.gakugei-pub.jp/higasi/index_i.htm

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