2017-06

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

魅力的な景観と高感度なまちづくり

■茅ヶ崎の市民団体が主催するまち景まち観講座
「魅力的な景観と高感度なまちづくり」by東大教授 西村幸夫

◇眺望でなにができるのかー。
全国都道府県市町村のいまの流れ:
景観法ができたいま、消極的であった東京都でさえも高さ制限に踏み切った。昨年ルールづくりをしている。まだどうなるか行き着く先は見えていないまでも京都では大々的に市民アンケートをとって48カ所の眺望を守ることになった。(6月議会にかける)
今年、100ちかい市町村で景観計画ができる。ほとんどでガイドラインとして高さ規制を謳う。現実としてツールで規制ができる時代になった。
その中で昨年の国立裁判は画期的な判決であった。景観は主観の問題ではなくなった。景観法ができて自治体には景観を守る責務があるとした。だが、できてしまった高層部分を削ることはできないとした、まだルールが決まっていないときのものだからというのがその理由。
今後の展望:
合意が作られれば、条例に高さ規制をきちんと書いていくことで、かなり強力なものになっていく。ルールが作られる自治体ではよくなっていく一方で、将来的によくなる先進的自治体というのは15%ぐらいなものだろう。首長次第ということで、誰を選ぶかというのが大事になってくる。

◇アメリカではどうなのかー。
・1930年代に「景観は規制していいんじゃないか」という合意ができてきた。景観は付加的なものとして、資産価値を守るために景観を守る。財産価値は厳しい規制で守ることができる。
・1950年代、資産価値とは別に、景観的な価値があるんだと裁判で言われるようになってきた。1957年の最高裁判決、バーマン判決で、「健康のためには景観を守る」、「公共の福祉の中に美観というのがあるんだ」と言って、景観だけで規制ができるようになった。
・1960年代、「悪い景観は公害だ!」となった。
・1970年代には「人権」になった。いいものを守る権利、つまり景観権。
日本では1970年代に日照権が認められることになる。日が当たるということはいいこと、大事なものということになり、建築法に初めて定められた。
・1980年代、「景観は環境の総合指標ではないのか」となる。「景観がいいというのは全体の生活環境がいい」ということではないのか。主観や好みの問題ではなくて、全体のよさを表すものという合意の形成ができてくる。
日本の場合:
国立裁判では景観権は認めていない。景観権は人権と同様、誰にでもあるもの。
国立裁判では「法によって守られる景観利益はある」とした。自己規制してみんながルールを守っているから生まれるのが景観利益。全体がこの利益を受けている。これを壊す人はまわりに迷惑を与えている。ルールは明確にしてないといけない。

◇景観とは何かー。
人間を取り巻く環境の眺めに他ならない。(中村良夫1977)

◇まちの景観を掘り起こす作業―。
景観調査の位置づけ:
・景観には意図がある。
それが成り立っている基本原則がある。その意図を明らかにする。
・歴史や地形から景観を読む。土地利用の変遷を知る。
・景色から地勢、地形から、地区を区分する。
・どんな資源があるか。景観資源を拾い上げる。
・建物、道、路地、坂、緑、広場、眺望、(祭り、にぎわいなど)無形の要素を抽出する。
・景観がいいか悪いかは、歴史で見る。土地が持ってるポテンシャルを歴史から、生活空間から学ぼう。生活や生業から景観を読む。
・文化的景観とは、棚田、里山など、地域の原風景。
とにかく、まちに出て歩いて見ること。まちに出て、他とは何か違う!という体感、実感をだいじに考える。次に、直感で得た景観のおもしろさ、その背景を調べる。_地域のアイデンティティであり、みんなのコンセンサスがとれてくる。
◇景観計画の改訂作業

景観の掘り起こし例として:一番いい方法は、30年前に子供だった人たちにどこで遊んだかを聞く。60年前に子供だった人たちにどこで遊んだかを聞く。井戸や広場、ロータリー、変な空間、まっすぐでない道、五叉路など、歴史を紐解くと資源にぶちあたる。

歴史を紐解くと、いまある景観は意図したものとは違い、よい景観ではないことがわかる例として上野公園の話:
上野の山は明治5年に大学病院が建つはずだったのが、オランダ人の医者ボードウィンが公園として残すべきと政府に意見書を提出して病院にならずにすんだ経緯があります。オランダ大使館から贈られた、公園の生みの親であるボードウィンの像は公園内にあるにはあっても、誰の目にも留まらない路の端にあります。周囲にはホームレスのブルーテントが並ぶありさまです。公園の生みの親の像に人を導くような公園デザインにするべきなのです。この像のあるところに路を一本通すとか、そうすればみんなが自然に像を見ることになるんです。
不忍池は昔の写真を見ると一周することができました。そういう風に作られているのです。いまは動物園の出口にぶつかって半分までしか行けません。そこは分断され、人が見苦しくたまる場所になっています。
また、不忍池を見下ろすようにデザインされた京都清水寺を模したと言われる清水観音堂の欄干からは、江戸の絵を見ると、不忍池の手前に太い幹がくるっと一回転して螺旋を描く見事な松が見えていたことがわかります。
いまそこに松はありませんが、欄干からは桜の木に覆われてしまっていて池も見えない状態です。これでは本来の意図が台無しになっており、いい景観とは言いがたいと西村教授は言います。「桜の木を間引けば、欄干から池が見える意図した景観を保つことができる」「博物館もまた正面の公園の道からはなにも見えない、ここも樹を切ってシンメトリーになっている博物館の正面建物を見えるようにしてはじめてこの景観を作った意図が保たれることになる。なんでも樹を残せばいいということではないはずです」

●西村幸夫東大教授は都市デザインが専門でいろいろ本を出しています。都市空間の構想力と題して「季刊まちづくり」で1月から8回連載しています。
平塚市でも「路地おこし」で関わっているそうです。「路地がおもしろい」とおっしゃっています。

▲2007年2月25日(日)

«  | HOME |  »

MONTHLY

CATEGORIES

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

湘南なぎさプロムナードの環境を守る会

湘南なぎさプロムナードの環境を守る会

no16F no10F

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。