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2020-04

住吉城址の城郭遺構がマンションに

■マンション建設 逗子「住吉城址」が消える

「多くの城郭あとは後世の破壊によってその構造が不明であることが多いのに本遺跡は城郭構造がほとんど破壊されることなく残っていたということは、中世城郭構造研究の上きわめて価値ある存在といわなければならない」(「逗子市住吉城址」逗子市教育委員会 昭和55年)と言わしめた、住吉城址の城郭遺構が破壊され、マンションに変わろうとしている。
「住吉城址破壊」を耳にしたのは昨年12月初め、鎌倉市の世界遺産登録推進を進める団体の席上でだった。「住吉城址のやぐらや遺構がめちゃめちゃにされている」と聞いても、皆きつねにつつまれたような表情でいるしかなかった。住吉城址は中世の土木遺構として、研究者や歴史ファンには貴重なものであったからだ。やがて、以前から事業者が持っているという話があったということで、半信半疑のまま調べることにした。
それが逗子市内では「小坪5丁目マンション計画」と呼ばれるものであることをようやく知るに及ぶ。
そこは県の急傾斜地安全対策工事をしている最中で通行禁止になっていた。市のホームページによれば、すでにマンション計画地は史跡も何もかも破壊され、整地されて基礎工事が行われている。事業者は63戸の建築計画をさらに数戸追加して建てるための変更届を出していた。
逗子市教育委員会で確認したところ、住吉城址の保存について論じられたのは昭和の頃だという。当時、所有していた事業者の開発の意思が堅く、さらに周囲の多くの個人地主にも土地利用の希望が多かったため、県の文化財指定にしようとする構想を断念せざるを得なかったそうなのだ。それ以来、住吉城址は開発される方向が決まり、世界遺産の話が持ち上がったときも、住吉城址は対象にしないことにしたらしい。
逗子市まちづくり条例制定前の平成6年に、住吉城址南東寄り8792平方メートルに開発許可が下りた。しかしその後着工されることがなかったのは、発掘調査に費用がかかるためだったのではなかろうか。平成15年に東急不動産が買い取り、開発の権利を承継した上で、平成17年4月開発のための発掘調査が行われ、ついに開発は始まっていた。
すでに数年前から、市民の間では逗子市にも鎌倉市と同じ基準で「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」(古都保存法)を、中世の歴史遺産とそのバッファゾーン(緩衝地帯)にかけてほしいという要望が出されていた。なのに、昭和末期の開発の方針がそのまま守られ続け、ついには悠久の歴史遺産を破壊する結果になった。

▲JANJAN 2007年2月

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